郡山八景

郡山の歴史 再発見!

ということで、以前 郡山八景ワーキンググループの方々が
郡山八景の散策マップを作成しました。

昨日の まごごろさんのコメントにありましたように
自分の住んでいる郡山を自慢出来るような街にしていくには
郡山について 少し勉強をする必要があるのかもしれませんね。

郡山八景とは?
郡山は安積疎水で発展したまちと言いますが、実際は有史以来重厚な歴史を持ったまちなのです。
江戸時代の郡山は、奥州街道の大宿場街として発展し、まちの中央(今の陣屋)には
旧安積郡の三代官所が置かれていました
当時の郡山は、二本松藩が治めていて、代官を通じて支配されていたそうです。
現在の金透小学校の敷地には、安積郡内の村々の蔵があり、
郡山は昔から物流の拠点として栄え、経済力が飛躍的に発展し、
郡山が無ければ二本松藩財政も成り立たないほどだったといいます。
郡山の商人の間には俳諧などの文化が栄え、風流心が培われました。
その中で、江戸時代の郡山の人々が、春・夏・秋・冬、朝・夕・昼・夜の風景の中で、
特に景色のよい所を選び、「郡山八景」と名付け称場しました。
当時の庶民のまちを愛する気持ちが八景を生むに至ったのです。
(郡山八景 散策マップより)

郡山八景




2009年02月20日 Posted byまざっせ at 12:02 │Comments(0)

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